すぎた きゅうしん
杉田久信の “現場”
からの教育提言
 ≪基礎学力で教育再生≫

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A.理論編 B.実践編 C.心の教育 ◆校長室の窓から ◆リンク集
1 教育を歪めた戦後の論調を糺す
2 指導要領改訂が学力低下をもたらした
3 アメリカ教育の荒廃と再生の過程
4 教育行政への提言
5 基礎学力をつける5つの柱
6 基「子供を楽にする教育」か「子供を鍛える教育」か
7 基礎学力の徹底で教育は再生する
8 戦後教育が善意で犯した罪
9 
10 
11 
12 

A【理論編】今、なぜ基礎学力か

1.教育を歪めた戦後の論調を糺す

教育荒廃の最大の原因は「欠陥のある教育理論」にある

「教養が国を作る」(バージニア大学教授エリック・ハーシュ著)という本が、1987年にアメリカでベストセラーになり、アメリカの教育改革と教育再生に大きな役割を果たしました。ハーシュ氏によれば、 アメリカ教育の荒廃の真の原因は 、社会的な変化(家族の方向意識の喪失やテレビの衝撃的な影響)や教師たちの無能、学校制度の欠陥等ではなく、 アメリカの学校に普及して、教育政策決定者が受け入れた 欠陥のある教育理論や考え方 に こそあるというのです。つまり、当時主流になっていた教育の自由化、人間化、社会化を主張する 非管理教育 の考えが、放任、甘やかしとなり、子供たちのわがまま勝手を許し、親や教師の権威を否定し、その当然の結果として非行や犯罪の激増、学力の低下を招いたとするものです。ハーシュ氏は、教育の荒廃を招いた欠陥のある非管理教育の理論や考え方を批判し、「学校の規律の回復」「基礎学力の重視」の教育改革の重要性を強調しています。これはアメリカの伝統的な教育の在り方に通じるものです。

日本では戦後長く、次に記すような教育批判が支配的論調となってきました。これは、アメリカの欠陥ある教育理論の影響を色濃く受けています。それは、

「学歴社会の下での受験競争が非行、暴力、いじめ、不登校などの教育荒廃を生んでいる」というものです。以下には、これまで展開されてきた主な教育批判を詳しく記しました。これらの教育批判の論調は子供に優しい耳障りのよい響きをもっていて、おおむね国民に疑問なく受け入れられてきました。しかし、これらの考え方に一貫しているメッセージは、勉強に関わる全て【学歴、受験、偏差値、知育、知識など】を否定的に伝えていることです。それらは、 「勉強否定論」 (「ゆとり教育亡国論」の著者大森不二雄氏)、 「反知性主義」 (エコノミスト原田 泰氏)とでも呼べる欠陥のある考え方です。私は、これらの欠陥のある考え方こそがハーシュの言うように日本においても教育荒廃の大きな原因であり、出発点となっていると考えています。ですから、ここを真正面から明確に論破しておくことは、教育の再生にとって最も大切なことだと確信しています。

以下に、戦後の教育に関する支配的な論調になってきた主な教育批判、特に、「詰め込み教育批判」を中心にそれらの反論を記しました。

学歴社会批判

◇学歴社会批判  ⇒ 学歴より本人の実力が大切。学歴だけでは幸せになれない。
                  子供の適性による進路を。

◆反論 上記の意見には基本的に同意します。今日の社会はその方向で動いており、既に
       学歴社会は崩壊しているとの説があるくらいです。

      しかし、学歴の高い人には実力のある人も多数います。学歴を得る過程で獲得した
       ものは知識だけでなく、努力することや集中力、持続力、認識力等の様々な能力で
       す。
       これらは、社会に出てからも必要なものです。

      学歴は無いよりあった方が明らかに有利です。医者や弁護士、高級官僚などの専
       門職や社会の指導的立場になるためには大学を出なければなりません。また、多く
       の職業でも定職を得るには学歴や資格が必要です。昔も今も、貧乏から抜け出す
       上で、学歴は極めて有効です。


受験戦争批判

◇ 受験競争批判 ⇒ 過度の受験競争が子供の心を追いつめている。

◆反論 これは一部の人々によって広められた虚構ではないでしょうか。事実は、 受験競争
       の激しかった頃の方が若者の自殺率は低かった
のです。また、 校内暴力も不登
       校も少 なかった
のです。精神科医の和田英樹氏によれば、日本で受験競争が最
       も激しかった1970年代は世界のどの先進国でも青少年が荒れ自殺も多くなった
       時期です。その中でも日本は例外であり、日本の当時の現状は極めて希な現象と
       して世界で注目を集めたとのことです。

       受験競争には一部に行き過ぎた現象も見られましたが、大局として、受験戦争は
       子供の心身を害するほどの悪影響を及ぼしてはいなかったと思われます。逆に、多
       くの受験生は、目標が明確なので努力も真剣に行い、その過程で勉強以外にも多
       くのことを学び、前向きに生きていました。また、競争は切磋琢磨を促し、子供たち
       の学習意欲や学習態度を向上させるのに役立っていました。

       子供には、自分を鍛える期間として高校・大学の受験の試練はあってもよいのでは
       、いや、必要なのではないでしょうか。しかし、今日、少子化で受験競争は既に終了
       に向かっています。


偏差値批判

◇ 偏差値批判 ⇒ 偏差値で進学先が決まり子供の心を傷つけている。子供の価値は偏
               差値では決められない。
             
学校から偏差値を追放せよ。

◆反論  偏差値は客観的データの一つとして必要 なものです。客観的データを追放すれば
       、教師の主観的評価が重視されることになり、公平性などに新たな問題が生じます
       。

       偏差値を追放しても、自ら学び、考える力がつくわけではありません。偏差値を追放
       した中学校では、生徒たちは学校よりも「塾」を頼るようになりました。

      努力して進歩がはっきり感じられるのは、点数や偏差値などの客観的データが上が
       ったときです。進歩していな者にとっては、努力すべき方向が明確になります。偏差
       値は自分を客観的に見つめるきっかけを与えます。

      ただ、偏差値の活用法は子供たちを1点刻みで序列化していくのではなく、いくつか
       の階層に分けていく方が現実的であり、偏差値のデータをよりよく生かせると思わ
       れます。


知育偏重批判

知育偏重批判 ⇒ 「勉強ばかりしていては、頭でっかちになり、まともな人間にはなれ
                  ない」
                知育偏重教育で人間性がおろそかになっている
                もっと豊かな心を育てる教育へ。教室での授業を減らし自然体験・社
                会体験を増やせ。

◆反論 ○「勉強をすれば人間性がおろそかになる」というのは、子供たちの実態を知らない
       で発言している空虚な観念論でしかありません。事実は全く逆なのです。今日問題
       なのは、常識としての基礎学力や基本的な知識さえ身についていない子供たちが
       増えていることです。特に、基礎学力の低下は、できない子供たちの間で深刻さを
       増しています。このような学力実態が、高学年や中学校での授業崩壊や荒れやキ
       レにつながっている例は少なくありません。学力の崩壊が人格の崩壊につながるの
       です。今必要なのは、全ての子供たちに確かな基礎学力を身につけさせることです
       。
       「知育偏重批判」の根底には反知性主義や勉強を敵視する思いがあると思われま
       す。しかし、勉強や知識を敵視したり軽視したりしていては、これからの知識社会を
       生きていくことすらできません。

     ○「学童期では、 基礎学力(読み・書き・計算)の勉強こそが人格形成の原動
       になります
」勉強が子供の人格を高めるのです。 読み・書き・計算の反復学習で
       身につくのは知識や技能だけではありません。読み・書き・計算の最大の効果は、
       子どもたちに達成感や自信をもたせて元気にすることができることです。 読み・書
       き・計算といった基礎学力は、段階を踏んで練習を繰り返しさえすれば、どの子も必
       ず身につけることができるものです。しかも、この練習を通して、 どの子にも「自分
       もやればできるんだ」ということを体験させ自信をもたせることができます 。この「や
       ればできる」という自信は何よりも大切です。この自信が子どもを元気にし、健全な
       人格形成の原動力となります。 とりわけ、音読・暗唱の効果は大きなものです。脳
       を活性化するだけでなく、子どもを元気にもしてくれるのです。「元気だから大きな声
       がでるのでなく、声を出すから元気になる」のです。 この自信は 学習への構えにつ
       ながり、 学習意欲をも向上させます。 今日、学習意欲を高めることが問題だとよく
       言われますが、子供は「できる」、「わかる」ようになれば、自信がつきます。自信が
       つけば勉強が好きになるのです。つまり、やればできるという自信が学習意欲を高
       めるのです。 また、その自信から自己肯定感が生まれ、子供たちに精神的安定と
       落ち着きをもたらし、生徒指導上の効果も現れてきます。

       さらに、読み・書き・計算といった基礎学力を高めることが、集中力や持続力、認識
       力などの学習能力そのものを著しく高めます。 また、読み・書き・計算の反復学習
       には若干のつらさが伴うことがありますが、そのつらさを乗り越える中で「少々の困
       難にも立ち向かって乗り越えていく力」や「チャレンジする力」も身につけることがで
       きます。

      「好きなことだけやればよい」と考えて、読み・書き・計算をおろそかにしてきた子は
       、社会生活を送る上での最低限の知識や技能等が不足するだけでなく、 「少々の
       困難にも立ち向かって乗り越えていく力」「チャレンジする力」そのものが 身につき
       ません。読み・書き・計算をおろそかにしてきた子は、中学や高校で勉強が少し難し
       くなるとたちまち逃避してしまう傾向があります。今日、日本の中学生、高校生が先
       進国の中で最も家庭学習の時間が少ないのは、ここに原因がありそうです。

      これに対して、小学校時代に読み・書き・計算を徹底的に鍛えてきた子は、中学、高
       校、社会人になっても、「確かな基礎学力」と「集中力と持続力」、「チャレンジする力
       」がついているので、困難なことにも立ち向かい、物事をやり遂げることができるの
       です。

      ところで、物事を創造するときに最も必要な能力はこの「集中力」です。考える力と
       は集中力といっても過言ではありません。また、物事をやり遂げる時に必要なのは「
       持続力」です。 この集中力や持続力、さらに、チャレンジする力こそ、「生きる力」の
       中核といえるものです
。そして、 この集中力と持続力、チャレンジする力は 読み・
      書き・計算の反復学習で最も身につけやすい
のです 。


      ○最近の脳科学で、読み・書き・計算、とりわけ音読や単純計算が大脳の前頭前野
       を最も活性化することが明らかになってきました。前頭前野は思考、判断、コミュニ
       ケーション、記憶、行動の抑制、感情などをつかさどる脳の司令塔です。つまり、読
       み・書き・計算のトレーニングは、子供たちの「生きる力」をも育てることにつながる
       のです。これまで体験的に知られていた「読み・書き・計算で学習能力が高まること
       や子供たちが落ち着いてくること」に、科学の光が当てられたということです。脳科
       学から見ても、人間性の向上には勉強が必要なのです。知育偏重や勉強が人間
       性をおろそかにするというのは虚論でしかありません。

      ○体験活動は必要ですが、「わらじづくり、そばうち体験、田植えのまねごと・・・」な
       どの安易な体験活動では、長い時間をかけても学ぶことは少なく、人間性が高ま
       ることもありません。 自然体験、社会体験で人間性が高まるのは、一定期間本気で
       取り組み、努力し困難を乗り越えたときです
それは、勉強も同じです 。勉強でも
       、本気で取り組み、努力した体験は尊く、学ぶことも多いものです。


詰め込み教育批判

詰め込み教育批判  ⇒ @  学校で覚えた知識など社会に出てから役に立たない
                       ガリ勉の受験秀才はこれからの社会では役立たない。
                    A  知識ばかり詰め込まれ、 考える力が育っていない
                    B  詰め込みのせいで 個性や創造性がつぶされている
                    C 教え込むのでなく、子供が自ら気づき学ぶように仕向ける
                       ことが大切だ。そのためには、子供の興味・関心・意欲を
                        大切にした授業をしなければならない。

◆反論 @少なくとも 小・中学校で覚える知識は、社会生活していく上で基礎となる必要な
        ものばかり
です。小・中学校では知識のための知識などはありません。特に、小学
        校で学ぶ知識が身についていないようでは、社会で満足に生きていけません。身
        につけるべき知識は、しっかり反復学習で身につけさせることが大切です。しかも
        、記憶力は小学校時代が鍛える旬です。この時期は最も多くのことが丸暗記でき
        、この頃詰め込まれた知識は、一生血となり肉となるのです。また、この時期に鍛
        えた記憶力は増殖・拡大しながら人生を通して力を発揮します。ですから、教科書
        の暗記や都道府県名、国名、年号、百人一首など、丸暗記に楽しみながら挑戦さ
        せたいものです。子供たちの考える力と創造する力は、暗記の後で伸びてきます
        。高校で学ぶ知識も、これからの国際社会、知識社会を生きていく上で必要なも
        のが多いのではないでしょうか。

       確かにガリ勉の秀才の中に心が未熟で問題のある者はいるでしょう。しかし、それ
        はごく一部です。 秀才の多くは、「集中力」と「持続力」が身についた努力家です
        彼らは、若干のつらさが伴う学習の中で、「少々の困難にも立ち向かって乗り越え
        ていく力」や「チャレンジする力」を身につけています。これらの力を身につけてい
        る者は、いつの時代も社会に通用します。事実、多くの秀才たちは社会の重要な
        ポストで活躍しています。

       むしろ、「興味のあることや好きなことだけやればよい」と考えて、基礎学力をおろ
        そかにしてきた子は、社会生活を送る上での最低限の知識・技能が不足するだけ
        でなく、「少々の困難にも立ち向かって乗り越えていく力」が身についていません。
        そのため、少しばかりの困難にぶつかるとたちまち逃避してしまう傾向があります
        。
       
       A繰り返し暗記して 記憶が確かになると、理解や思考も確かになる
       
「知識の詰め込みや暗記の教育では考える力はつかない」との考えが、どれだけ
        子供の脳力を育て損なっているかわかりません。日本だけでなく、アメリカ、イギリ
        ス、ドイツなど、この考えを受け入れた国では著しい学力低下、人間力の低下を
        招きました。真実は、繰り返し暗記して記憶が確かになると、理解や思考も確かに
        なるのです。記憶力が伸びれば、理解力、思考力も伸びるのです。

        【例】かけ算九九の学習。 「暗記こそ学問の基礎」
           「意味も分からずに暗記した名作などは、後に知性や教養の骨格となる」 

      ・理解中心では頭の質は変わらない。

       「単なる暗記は何の価値もない。意味の理解や考える力こそ大切だ」と暗記を否
        定し、理解を重視する教育関係者がほとんどです。それで、子供に暗記を求める
        ことをせず、理解させることだけに重点を置いた授業をしているのが普通です。し
        かし、 理解させることを主とした授業では、子供の能力は伸びず、授業内容も身
        につきません
。特に、 理解力の弱い子は置いていかれる ことになります。彼らの
        理解力、思考力を伸ばすには、記憶を徹底することが最も確実な方法です

        。

        【例】理解中心の英語教育では十年たっても英語を話せない。音読・暗唱の反復
            による「記憶」中心に変えると半年もたつと英語が話せるように育つ。

        【例】西サモアの英語教育→ 授業の全てが暗唱の練習で確実に英語力をつけ
           ている。   
         【例】百人一首の高速暗唱法→ 高速で音読・暗唱させることで小学1年生でも
            楽に百首暗唱

       ・暗記すること、繰り返すことで、子供の能力は伸びる
       
「繰り返しによる暗記は、単なる知識の記憶に留まらず、頭の質をも変えて
        しまう」
       
暗記を主にした教育、完全に覚えさせる練習をしていくと、子供の頭の質が変わ
        ってきて理解の質も変わります。暗記できた自信でやる気が育ち、積極的に学習
        する姿勢が出てきます。理解力も高まってくるので学習内容も楽に入っていきます
        。

       大量の暗記に取り組んだ子供は、質のよい記憶力を育て理解力や思考力も伸び
        るので、その後の学習がとても楽になっています。英語の学習などにもその効果
        が及んでいます。(多くの保護者の報告) 「目からより耳からの記憶の方が、より
        頭の質を変える」

      B個性や創造性、考える力は暗記の後で伸びてくる

       まず最初に暗記することが大切です。繰り返し心に刻みつけてこそ、心の底に深く
        根ざした真に生きた言葉として育って行くものです。人間の脳は、暗記したものを
        そのまま積み重ねて置いたりはしないようにできています。 暗記したものは、脳の
        中で熟成し融合されていきます 。 脳の中で無意識のうちに、暗記したものが関連
        し整理され組み合わさって、新しいアイディアとして生まれていくのです 。そこにこ
        そ、個性や創造性が出てきます。ただし、アウトプットまでには一定の期間が必要
        です。知識を大量にインプットしてもアウトプットは急がないことが大切です。時が
        至れば必ず熟成された知識は力を発揮します。

      ・インプットなくしてアウトプットなし

       私たちが何かを考える時、インプットされている既存の知識を材料にして、整理し、
        新しく組み合わせながら考えます。インプットがなく、何の材料もなかったら考える
        ことさえできません。暗記によって蓄積された知識が豊かであればあるほど、考え
        る上で有利になり、個性や創造性も自ずと発揮されます。

     ★  左脳記憶(一夜漬け学習)か右脳記憶(反復徹底学習)か

      ・「反復練習すると右脳が目覚める」 (右脳教育には2つの柱があります。一つ
        は、右脳のイメージ力を育てること。もう一つは、反復練習で記憶力を育てること
        です)
        反復徹底学習は体で覚える学習であり、右脳学習です。「繰り返しが天才を育て
        る」

      ・「左脳記憶」( 一夜漬け学習 )では、必死で詰め込んだ学習内容もテストが終わ
        れば、ほとんど忘れてしまいます。このような学習を長年続けていると燃え尽き症
        状に陥ります。

       ・逆に「右脳記憶」( 反復徹底学習 )では、知識・技能がしっかり身につくだけでな
        く、記憶力や理解力、思考力などの脳力そのものまで伸びるのです。しかも、子供
        は、反復学習を通して元気になり、自信をつけます。

      ・「反復練習なしでは、どんな力も身につきません。しっかり反復練習することは、あ
        らゆる知識や技能、能力を身につけていく際の普遍的な原理です」

       C学習意欲を高めるためにも、反復学習が大切

      ・ゆとり教育、新しい学力観の一貫として四半世紀にわたって「教え込むのでなく、
        子供が自ら気づき学ぶように興味・関心・意欲を重視した授業」の大切さが強調さ
        れ、全国の学校で実践されてきました。しかし、これはどんな結果をもたらしたで
        しょうか。それは、子供たちに学習意欲が著しく低下したという事実です。今日、ど
        の調査でも日本の子供たちは先進国の中では一番勉強してないことが明らかに
        なっています。子供の興味・関心・意欲を重視することは誰もが賛成する正論です
        。そのような授業に努めてきたのに、 なぜ学習意欲が低下したのでしょう 。それ
        は、「詰め込み授業を追放して興味・関心・意欲の重視の授業を!」の方針から 、
        反復学習やトレーニングが著しく軽視されてきたから だと考えられます。例えば、
        どの学校でも算数の授業研究では、子供たちが興味・関心をもつように「授業導
        入の教材選び」の研究に膨大な時間をかけています。そこでは、反復練習で学習
        内容を定着させることが研究の対象になることはありません。なぜなら、反復学習
        やドリル学習は教師主導の詰め込み教育であり、「新しい学力」の対極にある「旧
        い学力」の典型とみなされたからです。それで、漢字や計算の練習は授業中にや
        るものでなく宿題にされることが当たり前になりました。また、「計算は電卓でやれ
        ばよい。大切なことは考える力をつけることだ」との計算練習を軽視する考えが広
        がりました。(現在の教科書では、複雑な計算は電卓でやることになっています)     
      ・反復学習で「できる」「わかる」ようになれば、学習意欲がわいてくる

       授業の導入でいくら興味・関心をもたせても、反復学習で「できる」「わかる」ように
        ならなければ、子供は決して算数を好きにはならないものです
。逆に、反復学習
        で「できる」「わかる」ようになれば、子供は自信をもち算数が好きになるのです。
        そして、算数への興味・関心も高まり意欲的になるのです。この興味・関心・意欲
        こそ本物です。

      ・また、新しい学力観の立場から、評価が「関心・意欲・態度」中心に変わったことも
        問題です。まず、学力の状態がわかりにくくなりました。進歩がはっきり感じられる
        のは、点数などの客観的データで示された数値が上がったときです。点数による
        客観的な評価を避けて、主観的要素の強い関心・意欲・態度を中心に評価してい
        ては、子供の進歩が明確にならず、努力すべき方向も曖昧になってしまいます。こ
        れでは、学習意欲が薄れるのは当然です。 関心・意欲・態度」は 、評価の中
        心にすべきものでなく、点数による 客観的な評価を補助するのに使うべき

        す。

      ・中学校では、関心・意欲・態度重視の内申書が子供たちに日常的にストレスを与
        えています。テストでいい点数をとっても、先生に嫌われたら内申書は悪くなると
        思わせるからです。1969年に東京都が内申書を導入して以来、内申書は全国
        に広がっていきました。十年たって家庭内暴力、その2年後に校内暴力・いじめが
        問題化してきました。関心・意欲・態度を測ることが全国展開されたのが1994年
        。その前後で生徒間の暴力事件が2倍になっています。日常行動を、関心・意欲・
        態度、手を挙げる回数等で測ろうとすると、子供たちはストレスで荒れるのです。

       関心・意欲・態度重視の教育は、結果として勉強への意欲をなくすことにつながっ
        たのです。
        今日、この教育の検証と見直しが必要です。

 

■ 詰め込み教育の追放で、学力低下が大きく進行した。

 

 1989年の学習指導要領の改訂(施行92年4月)で「新しい学力観」が登場して以来、読み・書き・計算の反復学習は、詰め込み、教え込み教育の典型とみなされ、否定的に扱われ、軽視されてきました。むしろ、追放されてきたというのが正確かもしれません。

 そのため、全国の学校現場から、 授業で反復練習させてきちんと基礎学力を身につけるという地道な取り組みは、急速に見られなくなってしまいました 。この結果、できる子とできない子の学力格差が拡大し、二極分化の形で学力低下が大きく進行しました。最低限の読み書き計算さえ身についていない子供が増えています。基礎学力の低下は、できない子供たちの間で深刻さを増しています。これは教育現場では誰もが実感していることです。 深刻さを象徴するのが、かけ算九九さえ覚えていない中学生や高校生が全国どこでも珍しくなくなったことです 。また、すぐキレる子や嫌なことは一切しない子も大幅に増えており、学校運営は年々難しくなっているのが現状です。

 また、「知識の詰め込みや教え込みを追放し、関心・意欲を重視した授業」をしようとすれば、 「教えない指導」路線 にならざるを得ず、それは多くの場合、児童生徒の興味に基づいた「自主的な調べ学習」と称する指導のない自由な観察記録・レポート・新聞作成などであり、それらの発表と少しばかりの話し合いです。安易な新聞づくりに代表されるこれらの取り組みは、学習のアリバイづくりの様相を呈しています。そして、教師は教えることなく、アドバイスし見守るのが役目となりました。その結果、知識量の減少と科学的認識力能力の低下、深刻な学力低下をもたらしたのです。

                ↓

 ・「中学生の作業処理能力は20年前の半分しかない」との声が中学校の現場から聞こえ
   てきます。
  ・「20〜30年前の中学校卒、高校卒の知力、人間力は今の大学卒や大学院卒よりも上
    だった」
      ⇒ これは、多くの企業経営者の感想です。

 ・「マツダ中国工場の製品の欠陥率1.3%、日本の工場の製品欠陥率3.5%」     ⇒ このような逆転現象が生じてきています。


管理教育批判

管理教育批判 ⇒ 「 子供たちが荒れるのは、学校の管理が強いためだ 」といった
  (自主性尊重論)    論調が、ゆとり教育    (自主性尊重論)  が導入された80年代
                  ころから盛んに展開されてきた。

                @ 意味のない校則で子供を縛るのはやめるべきだ。校則を廃止し
                  、禁止や強制・命令はできるだけ避けて、子供の 自主性を尊重
                 すべき
だ。
                 A  指導より支援が大切だ。

◆反論 米国などの専門家による研究結果は「子供にルールや課題を与えないとかえって      子供の心が混乱し、メンタルヘルスに悪い」というものです。 ルールや規律が徹底
       している中での温かい指導によってこそ、子供たちが心を安定させ安心して
       勉強できるのです
。ルールや規律を重視する管理教育は学力にも好影響を与
       えます。管理教育が子供にとって悪いことだというのは事実に基づかない虚論です
       。

       @ 一切の強制や押しつけをやめて子供の自主性を尊重すれば、子供たちは自分
        で進んで活動し勉強する、との考えは現実的ではなく虚論でしかありません。事
        実、自主性を尊重し、支援の授業を推進し、宿題を減らした結果は、混乱と学ば
        ない子供を大量に生みだしました。 ほとんどの子供は、外からの強制がなければ
        勉強しなくなる
のは自然の成り行きです。これは日本だけで起きた現象ではあり
        ません。1970年代に「非管理教育」が主流になったアメリカでも、すさまじい教育
        荒廃が広がり、国家の危機とまで言われるほどになりました。 

      ・ 教育には必ず「強制」的な面が伴う ものです。しかも、その強制の中で子供が大
        きく育っていくことは少なくありません。例えば、落ち込んでいる基礎学力を身につ
        けさせるために、強制的な厳しい指導で力をつけたといった教育実践は、「強制」
        が効果をあげた事例です。これは、後々に子供たちから感謝されることになります
        。(ただ、物事はバランスが大切です。行き過ぎた「強制」や愛情が感じられない「
        強制」は避けるべきです)

      ・子供の 自主性を育てるには、教師のねばり強い指導が必要 です。子供の自
        主性は、待っておれば出てくるものではありません。自主性を育てるためには、時
        には教師の教え込みや堅実な指導も必要です。「子供の自主性」や「支援」の名
        のもとに堅実な指導が避けられたら、結果として子供たちを放任することにつなが
        り、いつまでたっても自主的に行動することはできません。

       A  支援の授業は、徹底指導の上に成り立つ

        戦後教育では一貫して教師主導の授業を戒めてきました。「教師は極力後ろに
        下がって子供たちを前に立てた授業をしなければならない。教師は喋りすぎては
        ならない」ということは、私が教員になった30年以上も前から、少なくとも小中学
        校では常識になっていました。ただ、そこでは一方的な教師主導を戒めつつも、
        当然のこととして教えるべきことはしっかり教えられていました。しかし、1989年
        の「新しい学力観」の登場(施行92年4月)で、教師主導を徹底的に排斥し支援
        に徹しなければならないとの強い指導が行われました。その結果、「教え込むの
        は悪である」「支援がよくて、教師主導はすべてダメである」となってしまいました。
        今日の学校現場では、指導よりも支援が大切だとして、一部で教えるべきことも
        教えないという不思議な状況が生まれています。

       ・支援の授業がよくて教師主導の授業が悪いのではありません。支援にも悪い支
        援があり、教師主導にもよいものがあります。よい悪いは、子供に真に力がついた
        かどうかの「子供の事実」で判断すべきです。

       ・支援では子供を鍛えることはできません。鍛えるには、教師主導による徹底反復
        学習が効果的です。教師の粘り強く徹底した指導で、基礎学力と学習能力を身に
        つけて初めて子供は自主的に学習を進めていくことができます。この段階になる
        と支援の授業は効果的です。しかし、基礎学力や学習能力を鍛えないまま「まず
        、支援の授業ありき」では、学習そのものが成り立ちません。支援の名のもとに鍛
        えられたことのない子供は力がつかず、いつまでたっても自主的に活動することさ
        えできません。今日の自主性に欠けた若者の大量発生は、それを立証しています
        。支援の前に徹底指導で鍛えることこそ重要です。

        今、学校現場に必要なのは,教えるべきところではきちんと教え、考えさせるべ
        きところではしっかり考えさせ、子供に任せるところは思い切って任せるといった、
        指導と支援のバランスがとれた常識的な指導観です。

画一教育批判

画一教育批判 ⇒  一斉授業での知識を詰め込む画一的な教育が、子供の 個性と
               創造性を殺している

                 個性を伸ばすため教育を多様化すべき。

       ※ 追いつけ追い越せの大量生産時代には、画一教育で一定の知識を身につけた
          平均的な人材供給でよかったが、 これからは個性や独創性、創造性を持った
          人材が必要
になる。

◆反論

 個性重視の立場から画一教育を批判し一斉授業を一律に追放したことが、規範意識を低下させ、学習規律の崩壊につながりました。これが、多くの学校で、学級崩壊や厳粛な式で静かに話が聞けない子供を大量に生み出したのではないでしょうか。最近では保護者までも学習参観におしゃべりをしている世の中になってしまいました。毎年問題になった成人式で暴れる行為は、校則を廃止し、画一教育や一斉授業を追放した結果を象徴するものです。画一教育を否定したことが、子供を無差別に殺す事件の発生や、子供への声かけや連れ去り事件の激増、俺俺詐欺といった悪質な犯罪が日常化するといった、最低限の規範意識さえも怪しくなった社会、何でもありの社会をつくったのではないかと思います。今日、画一教育や一斉授業のよさを再評価すべきだと思います。

      ・ 画一教育のよさ・・・学習規律や規範意識が生まれる。

       物事を一斉に行うことによって、学習規律を確立することができ、規範意識を育て
        ることができます。( 規律が確立している学校・学級は、大多数の善良な子供たち
        とって過ごしやすいものです
) 小さなルール違反を放置しておくと大きな犯罪が発
        生します。【窓割れ理論】 また、学習規律のないところでは学力の向上もありえま
        せん。

     ・  「規律」重視は 温かい指導(愛情をもった指導) とセットで行うことが大
        切です

       温かい指導とは、「ほめて育てる」、「優しい言葉使い」、「高圧的に叱責するのでな
        く、尊い人を叱るように叱る」、「同じ過ちを犯さない方法を一緒に考えてやる」、「
        気持ちを聞いてやる。気持ちを伝える」「人と比べない。比べるのは以前の本人の
        み」といったことです。

      ・ 「 規律」ある中で の教師の 優しさと愛情をもった指導によって こそ、子供は明
        るく伸び伸びと育ちます。

      ・  一斉授業は必ずしも受け身ではありません 。話しを聞いていることは考えて
        いることです。教師の話す内容が濃いとより一層能動的に考えることになります。
       また、一斉授業は必ずしも画一的とは限りません。一斉授業にも様々な工夫の余
        地があります。

個性とは

      •  基本をしっかり身につけ、踏まえてこそ、真の個性が生まれます 。【守・破・離
        】 真の個性は長年のトレーニング(修練や鍛錬)の結果輝き出すものです。例え
        ば、踊りでは、師匠をまねて反復練習して基本を完全に習得した後に、その人の
        個性が出てくるものです。それまでは個性というよりは、癖や未熟というだけです。
        生まれつきもっているものは、個性でなく単なる傾向です。

      •  泳ぎの基礎ができていない未熟な「バチャバチャ泳ぎ」が個性的とでも言うのでし
        ょうか。水泳のクロールの練習をすれば、皆、似た泳ぎ方になります。何事も基本
        を身につける段階では、似た形になるものです。これを型にはめている、個性が
        ないと非難するのは間違っています。ところが、一流選手になってくると泳ぎに微
        妙な個性が出てきます。基礎をふまえて出てくる個性、これが真の個性です。

       個性は子供が 自信をもったときに表に出てきます 。真の個性とは、押さえつけ
        ても型にはめても出てくるものです。