すぎた きゅうしん
杉田久信の “現場”
からの教育提言
 ≪基礎学力で教育再生≫

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A.理論編 B.実践編 C.心の教育 ◆校長室の窓から ◆リンク集
1 教育を歪めた戦後の論調を糺す
2 指導要領改訂が学力低下をもたらした
3 アメリカ教育の荒廃と再生の過程
4 教育行政への提言
5 基礎学力をつける5つの柱
6 基「子供を楽にする教育」か「子供を鍛える教育」か
7 基礎学力の徹底で教育は再生する
8 戦後教育が善意で犯した罪
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A【理論編】今、なぜ基礎学力か

5.基礎学力をつける 5 つの柱

基礎学力をつけるためには、私は以下の5つの指導方針が必要だと考えています。これらはどれも今日の日本の教育における学力観や指導観、指導法の根本的な見直しにつながる内容を含んでいます。

(1) ゆるぎない基礎学力を身につけてから応用へ向かう

「基礎を身につけてから応用へ向かう」というのは、ごくあたり前のことです。基礎がなければ、スポーツも芸術も学問も、次の段階には進めないものです。ところが、近年の学校現場、特に小学校の現実は反復学習で身につけるべき基礎学力の定着が不十分のまま、「教えない指導」路線により、指導のない「自由」な観察記録・レポート・新聞作成等が多くなっています。これらは「アリバイ作り学習」の様相を呈しています。しかし、 基礎のないところに応用はあり得ず 、それは、結果として学びの少ないものになる傾向があり、知識量の減少、科学的認識力の低下を生んでいます。

本来ならば、小学校では揺るぎない基礎学力をしっかり身につけるために基礎を重視したインプット「入力」型の教育に力を入れるべきです。 それは、 インプットなくしてアウトプットはない からです 。インプットが先なのです。そして、中学、高校、大学と上がるにつけて応用へと向かいアウトプット「出力」型の教育にすべきだと考えます。これは、脳科学の立場からも、10歳の壁といって、小学校4年生ごろから脳の質が変わる事を踏まえると理に適っています。すなわち、4年生の半ばごろまでは、子供達は理屈抜きで丸暗記する事が得意で喜んで取り組みます。この時期まではインプットに最も向いています。しかし、4年生の半ばを過ぎると理屈がわからなければ取り組めなくなっていきます。大人の脳に変わっていくからです。この頃から理屈を大切にしつつアウトプットを増やしていく事が大切なのです。ところが、日本の教育は、上級学校に行くほど、一方的な講義形式でインプットが中心になっており、一部逆転しているような現状があるのです。

これらのことを踏まえ、「ゆるぎない基礎学力を身につけてから応用に向かう」ことが重要です。
ここで基礎学力を重視する理由を改めて明確にしておきたいと思います。

 

@  脳科学の立場から 読み・書き・計算の反復学習が、最も脳を活性化する     

脳科学の発達によって、読み・書き・計算の驚くべき効果がわかってきました。 最近の脳科学研究で実証されたのは、読み・書き・計算の反 復学習、とりわけ音読と単純計算が最も大脳を活性化させ、子供の荒れ・キレをも防ぐということです。また、認知症の改善・予防にも効果があることが広く知られてきて、多くの老人の皆さんが熱心に音読や単純計算に取り組んでおられます。しかし、これは伸び盛りの子供たちにこそ必要なものです。

脳科学のこの分野の第一人者である川島隆太東北大学教授は、10年以上の臨床データに基づき、

「読み・書き・計算の基礎的な学習を十分行うことが、思考を司っている大脳の前頭前野を最も活性化させ、考える力や創造性の基礎をも培う」と述べています。

実際に、学習の前に読み・書き・計算を5分行うとその学習の記憶力が 2 0〜30%向上すること、また、毎日徹底して継続していくと知能指数が向上することが確かめられています。

歴史的に見ても、読み書き計算の反復徹底の教育の中から、創造性あふれる優れた人物が多数育っています。ノーベル賞の3分の1がユダヤ人であるといわれていますが、彼らの教育の中心は幼児のときから膨大なユダヤ教の経典を徹底して音読・暗唱させることで知られています。イギリスで最も繁栄したエリザベス女王の時代の教育は、ラテン語の文章の音読暗唱を中心にした教育で、優秀な人物や英雄が多数育ったといいます。また、今日のインドでは、子供たちに2桁×2桁までの掛け算九九を暗唱させています。すさまじい暗記ですが、そのような教育の中から、アメリカや世界のIT産業を支える大量の優れた技術者を生み出しています。日本でも明治のころに個性あふれる英雄・偉人たちが多数出現ましたが、これは江戸時代後期の寺子屋や藩校で盛んに行われた論語などの漢文の素読・暗唱の教育の成果であると考えられるのです。

読み・書き・計算の反復学習、とりわけ音読・暗唱の教育は記憶力ばかりか創造力も高めるようです。戦後日本で初めてノーベル賞を受賞した湯川秀樹博士は、幼少期から四書五経の素読を教わって育っています。素読では意味の理解は問わず、ひたすら音読を繰り返します。すると、心の底に深く根ざした真に生きた言葉として育っていくのです。これは、意味の理解を早急に求めるのでなく、言葉そのものを繰り返し心の底に刻みつける方法です。これは脳の力を伸ばす上で極めて効果的な方法なのです。この古くからの教育法は、今日、 「右脳によるパターン認識学習」と呼ばれて再評価されてきました。音読・暗唱を繰り返す中でパターンを認識し、脳の深層部への記憶回路を開こうとするものです。この伝統的な教育法をとれば、 意味も分からずに暗唱した名文等が、後に子供たちの教養や知性の確かな骨格になっていく のです。実際に、「意味も分からずに丸暗記させても本当の学力にならない」と非難される逆境の中で、名文・詩文、百人一首などの音読・暗唱に力を入れてきた先生がいます。10年以上たって、多くの難関大学に入学した大学生たちを含む教え子たちから一番感謝されたのが、小学校時代のこれらの暗唱であったといいます。

多くの国々では、古典などの名文が学校教育の中で音読・暗唱され、国民共通の文化になっています。日本でもようやく名文、古典などの素読や暗唱、朗読などの教育の重要性が理解されてきたことは歓迎すべきことです。

また、「荒れる、切れる子というのは、脳科学の立場から言うと前頭前野が未発達だ」そうです。読み・書き・計算が前頭前野を最も活性化するので、荒れる、切れる子にも効果的であることも確かめられています。確かに切れる子というのは、音読や単純計算を異常に嫌う傾向があるものです。

A  「やればできる」が実感でき、学習意欲や生徒指導の上でも効果がある

実際に、読み・書き・計算の反復学習を本気で実践してみれば、基礎的な知識、技能の確かな習得ばかりか、反復することで「できる」ようになった達成感や自信が生まれます。読み書き計算の最大の効果は、子供たちに 「やればできる!」ことを実感させ、自信をもたせて元気にすることができる ことです。この自信は、子供たちに落ち着きと精神的安定をもたらし、自己抑制力を高めることにつながります。これらのことは、「学習態度」の確立、問題行動の減少といった生徒指導上の効果につながります。特筆すべきは、音読・暗唱の効果です。脳を活性化するだけでなく、子供を元気にもしてくれるのです。「元気だから大きな声がでるのでなく、声を出すから元気になる」のです。【音読で脳内元気物質セロトニンが増えるそうです】

さて、今日、学習意欲を高めることが問題だとよく言われますが、そのことを難しく考える必要はありません。子供はできる、わかるようになれば、自信がつきます。自信がつけば勉強がすきになるのです。つまり、やればできるという自信が学習意欲を高めるのです。

 

B  集中力や持続力などの学習能力(学ぶ力)を高め、学力全体の底上げにつなが
   る

子供一人ひとりに考える力、学ぶ力、創造する力といった生きる力をつけ、個性を育てることが教育の究極の目的であると考えられます。しかし、その生きる力は基礎学力の上に成り立っており、基礎学力なくして生きる力はあり得ません。しかも、読み・書き・計算といった基礎学力を高めることが、集中力や持続力、認識力などの学習能力(学ぶ力)を著しく高めることにつながり、学力全体の可能性を決定します。

ところで、物事を創造するとき最も必要な能力はこの集中力です。また、物事をやり遂げる時に必要なのは持続力です。 この集中力や持続力、これこそ生きる力の中核といえるものです 。そして、この集中力と持続力は読み・書き・計算の反復学習で最も身につけやすいのです。

脳科学の川島教授は 「生きる力といわれるものの大半が、実は、読み書き計算の反復学習の中で身につけることができる」 と明言しています。

集中力や持続力などの学ぶ力・学習能力が高まると、全ての学習活動によい影響が出てきて学力全体の底上げにつながります。しかも これらは、毎日しっかり取り組めば、2、3か月くらいの比較的短い期間で確実に成果が見えてきます。

       読み・書き・計算の反復学習で学ぶ力が高まると、全ての学習活動によい影響が出てきて学力全体が底上げされるのです。  

 

C  基礎学力をしっかり身につけた者が問題解決力を発揮する  

 チンパンジーにバナナを取らせる実験があります。檻から離れたところにバナナが置いてあり、その手前に長い棒も置いてあります。そして檻の中には短い棒も置いてあります。このバナナを取るためには、まず短い棒で長い棒を引き寄せて取り、その長い棒でバナナを引き寄せなければなりません。チンパンジーにとっては高度な問題です。普通のチンパンジーは何ヵ月かかっても全くできないのに、この問題をたちまち解決するチンパンジーがいます。それは、短い棒でバナナを引き寄せて取る基礎訓練を繰り返してきたチンパンジーなのです。

問題解決力や応用力そして考える力というものは、基礎訓練があって初めて発揮されるものなのです 。基礎はなかなか身につかないものですが、身につけば応用が利くのです。読み・書き・計算と言った基礎学力をしっかり訓練し身につけてきた子供こそが、問題解決力、応用力、考える力をより大きく発揮する大人に成長するのです。

 

D  基礎学力を身につけさせることは,小学校の最も基本的な責任である

最後に忘れてはならないのは、基礎学力を身につけさせることは,小学校の最も基本的な責任である、ということです。読み・書き・計算といった基礎学力は、社会生活をする上で最低限必要なものであり、「生きる力」の基礎です。しかし、今日「全ての子供たちに基礎学力をしっかり身につけさせる」という、最低限で当たり前のことがきちんと行われている小学校はどれだけあるでしょうか。

これまで基礎学力をおろそかにしてきたことの結果は深刻です。できる子とできない子の学力格差が拡大し、二極分化の形で学力低下が大きく進行してきました。基礎学力の低下はできない子供たちの間で深刻さを増しています。象徴的なのは、中学生や高校生の中にかけ算九九さえ身についていない生徒が全国どこでも珍しいことではなくなったということです。私たちの世代はどんなに勉強ができなくてもかけ算九九を覚えていないまま中学校に行く子供はまずいなかったものです。基礎学力だけでなく学習意欲や生きる力の低下も顕著です。校内暴力や不登校も激増しました。今日、多くの学校で、子供の問題行動、深刻なトラブル、一部におしゃべりや立ち歩き、教室からの抜け出し等で、学校運営が年々難しくなっているのが現状です。

これらの状況を改善する上で最も効果があるのは、基礎学力、読み・書き・計算を徹底することです。それも、子供たちを徹底的にほめながら行うことがポイントです。基礎学力の徹底で、まず、子供たち全体の「学習への構え」や「学習規律」が向上します。そして、前に記した学習意欲や学習能力も高まります。

また、基礎学力を徹底する取り組みは、先生方が子供たちを育てることに確かな手応えを感じることができる最もシンプルで確実な教育実践でもあります。 この取り組みに力を入れれば、どの先生も、明るく生き甲斐をもって教員生活をおくることができるでしょう。事実、優れた教師は、追究力を育てる学習の前に必ず徹底した反復学習で基礎学力をきっちり身につけさせているものです。私は、「基礎学力の徹底で教育は再生する」と確信しています。

 

(2) 「できる」を「わかる」より先にする

「わかる」が先か、「できる」が先かということは、教育の本質にかかわる問題です。今日の学校教育は、「できる」よりも「わかる」を優先する教育です。「意味がわからずに計算練習しても忘れてしまう」、「意味もわからずに古典などを音読・暗唱しても無駄だ」と言われます。それで算数では、計算練習よりもその意味の理解に大半の時間をかけています。国語でも話し合い学習が中心で、お手本を写す視写や音読、暗唱などはほとんど行われなくなってきました。

しかし、「わかる」より「できる」を先に行う指導は実際にやってみれば極めて効果的であることがわかります。なぜ、「できる」を「わかる」より先にするのか、その理由を考えてみましょう。

 

@  「できる」を先にする方が落ちこぼれが生まれず、子どもたちに確実に力がつく

学校現場の経験から、計算の習熟に力を入れたり、反復学習で音読・暗唱させたりすると、子供たちは確実に多くの力をつける事実があります。  

算数の授業を実際にやってみて、特に、学力の低い子供には「できる」を先にすることの方がより効果的であることが実感できます。例えば、割り算を教えるとき、まず計算の手順を教えて反復練習で計算がきちんと「できる」ようにして、その後で割り算の意味を教科書通りに教えると比較的よく「わかり」定着するのです。落ちこぼれも生じにくいのです。これを逆にすると、最初の「意味の理解」でつまずいてやる気をなくし、計算の習熟にも取り組めない子供が出てしまいます。

計算の反復練習を繰り返すことによって数の概念が形成され、数学的な勘が発達します 。それこそが数学的思考力の基礎となります。「意味もわからずに計算練習しても忘れてしまう」というのは正しくありません。それは、練習が足りないだけなのです。練習がある一定の量を超えると意味がつながってくることはよく見られる現象です。

また、国語でも、まず、音読・視写・暗唱・漢字の反復練習に多くの時間を費やすことによって、学力の低い子にも言葉や文字への感覚が育ち国語力が伸びるのです。言語的思考力の基礎も培うことができます。すなわち、 音読・暗唱・漢字も反復練習されることによって言葉や文字への感覚が育ち、言語的思考力の基礎を培うことができる のです。とりわけ音読では意味の理解を早急に求めるのでなく、言葉そのものを繰り返し心に刻みつけてこそ、心の底に深く根ざした真に生きた言葉として育っていきます。

 

A  後から「わかる」のが理解の基本形

乳幼児が言語を習得していくとき、意味もわからないのに言葉を丸ごと真似しているうちに、パターンを認識して自然に意味もわかって言葉を使いこなすようになっていきます 。乳幼児は言葉の意味が後から「わかる」のです。つまり、人間の最初の学習は「できる」が先で「わかる」が後なのです。

また、反復学習も繰り返しの中でパターンを認識し確実に定着させる学習です。その多くは意味が後からわかってくることが多いものです。数学者の小平邦彦氏は、計算練習を繰り返すことで、なぜその規則が導きだせるかが理解できるようになったと回想しています。このようなことは誰でも経験しているのではないでしょうか。後から「わかる」のは決して特殊なことではなく、むしろ理解の基本形なのです。

もちろん、事柄によっては「わかる」を先にする方が効果的なものはあります。その場合は「わかる」を先にすればよいでしょう。しかし、人間の発達段階でみれば、小学3年生くらいまでは「できる」が先で「わかる」を後にすることが特に必要だと考えています。高学年になるにつれて、「わかる」を先にする割合を増やしていくことがよいでしょう。

 

B  「わかる」だけでは「できる」ようにはならない

いくら「わかる」に時間をかけても、それだけでは「できる」ようにはなりません。 何ごとも反復学習を行わなければ身につかないものです。しっかり反復練習することは、あらゆる技能や能力を身に付けていく際の普遍的な原理です 。 事実、 単純なこと、基礎的なことを徹底して反復練習させると、それをやっていない子と比べると、天と地ほどの大きな能力の差になるものです。

自転車の乗り方を例にとると、いくら乗り方の説明を聞いても、自転車に乗れるようにはならないものです。実際に自転車に乗るという活動を繰り返すから、自転車に乗れるようになるのです。「わかる」ことに時間をかけて、「できる」こと ( =反復練習 ) に時間をかけないのでは、結局何も身につきません。

今日の日本の算数教育は、「わかる」に大半の時間をかける問題解決学習が主流になっています。しかし、問題解決学習では「できる」ようにはなりません。練習の時間が極端に少ないからです。そればかりか、問題解決学習では、わからない子は長い時間をかけてもわからないままで、算数が嫌いになっています。計算練習が少ないので、結局、基礎的な計算さえできない子が生じているのです。また、わかったつもりでいても、練習をしないと忘れてしまいます。

「できる」を先にするということは、練習を繰り返す中でわかればいいという考え方なのです。ここで誤解の無いように断っておきますが、「できる」を先にするというのは、「わかる」がどうでもよいということではありません。「できる」の後から「分かる」に取り組む方が、より効果的であると言っているのです。

 

(3) 教科書とノートを大切にした地道な授業を行う

 教科書とノートを大切にすることが、どの子にも「できる」「わかる」授業のために必要なことであり、最も効果的です。

以下に記したのが教科書とノートを大切にする理由です。

@  教科書を使った授業は、どの子にも最低限の基礎学力を身につけさせる上で
   効果的である 

  教科書とノートを使って授業をすることは当たり前のことです。ところが、どこの学校の研究会でも、不思議なことに研究授業で教科書もノートもほとんど使われていません。それは、とりわけ算数で顕著です。学者や教育界の有力者から「教科書で教えたり覚えさせたりするだけの教師はいらない」という発言がよくされてきました。教科書で教えるのはレベルの低い昔の教え方であり、それは力のない教師のすることだとの風潮ができてきました。それで、日常の授業でも教科書を使わない授業が多くなっているのです。しかし、教科書を使わない結果、学力の低い子供たちはますます勉強がわからなくなったのです。そして、最低限の基礎学力さえ身についていない子供たちが大量生産されてきたのです。どの子にも最低限の基礎学力をしっかり身につけさせることが義務教育学校の最大の責任です。そのために教科書を使うことは最も効果的です。教師にとっても教えやすく、子供も理解しやすいのです。

教科書は多くの専門家によって十分吟味された優れた教材です。自作教材のよさはありますが、年中自作教材をつくることは時間的に不可能です。自作教材をつくり授業の導入の研究に時間をかけるよりも、優れた教材である教科書を使ってどの子にもわかる教え方の研究に時間をかける方がよほど効果的です。

 

A  見やすくきれいなノートと学力は比例している

また、研究授業ではノートを使わずプリント等に書かせていることがほとんどです。日常の授業ではノートを使っているのですから、研究授業でもノートを使うことが自然です。

子供のノートと学力は大きな関連があります。学習の足跡が一目でわかるきれいなノートを書いている子は成績がよいものです。乱雑なノートを書いていた子が、きれいなノートを書くようになったら成績も上がってきたという事例は多いのです。ノートのきれいさと学力は比例していると思ったほうがよいようです。

ですから、子供たちにしっかり学力をつけようと思うなら、日頃の授業の中で学習の足跡がわかるきれいなノートづくりの指導をすることが大切です。

B  教科書とノートを使うことこそ本物の指導

経営コンサルタントの船井幸雄氏は、本物の商品には次の特徴があると記しています。ア・安全、イ・快適、ウ・安価、エ・高品質、がそれです。また、本物全般に言えることは、ア・単純、イ・万能、ウ・即効、エ・よいことばかりで副作用なし、オ・制約なし、ということだそうです。

  この本物の条件からすると「教科書」は安価であり、高品質です。そして、「教科書を使った授業」は、単純、万能、即効、副作用なし等の本物の条件が当てはまります。また、「ノート」も安価で、単純、万能、即効などの条件が当てはまります。このように見てくると、「教科書」を使い「ノート」を書かせることは限りなく本物の指導に近いといえます。

  逆に、教科書もノートも使わない授業は、多くの場合見せるために仕組まれている偽物といえるかもしれません。

  また、単純の反対は複雑です。研究授業でよく見られるコーナーを設置してヒントカードを置いておく授業などは複雑の典型です。これも見せるための偽物の授業と言えるでしょう。コーナーに置いてあるヒントカードの内容こそ授業全体の中で検討すべきものです。とにかく、教育で複雑化していくものは偽物であると言えそうです。

 

(4) 教師主導の指導法もよいものは採り入れる

教育の指導には「教師主導」と「支援」の両方がバランスよく必要です。「教師主導」の指導法もよいものは採り入れることが大切です。

 以下に、教師主導も必要な理由を記します。

@  指導には「教師主導」と「支援」の両方が必要

日本の学校では「教師主導の指導はすべて悪」とされています。戦後教育では、一貫して教師主導の教育を戒めてきました。「教師は極力後に引いて子どもたちを前に立てた授業をしなければならない。教師は喋りすぎてはならない。子供たちに教え込んではならない」などは、私が教員になった30数年まえから強調されていて、少なくとも小学校ではすでにそれらは常識になっていました。この戒めは、安易に教師主導に流れがちな傾向に歯止めをかける役割を果たしていました。しかし、当時は当然のこととして教えるべきことはしっかり教えていました。ですから、そのころは教師主導と支援のバランスが一応とれていたのです。

ところが、1977年の学習指導要領改訂でゆとり教育路線が敷かれたあたりから、子供の主体性や個性を尊重する方向へ大きくバランスが移り、しつけを徹底することや教え込むことは、教師主導の教育であるとして軽視される風潮が除々に広がっていきました。そして、「新しい学力観」の登場で、教師主導の指導は徹底的に排斥されるようになりました。そのため、学校現場では、「指導」よりも「支援」が大切だとして、教えるべきことも教えないという、外から見ると不思議な状況が生まれてきました。特に、小学校では「教え込むのは悪である」「支援型の授業がよくて、教師主導の授業はすべてダメである」との観念にがんじがらめになっています。教えるべきところではしっかり教え、考えさせるべきところでは考えさせ、子供にまかせるべきところは思い切って任せるといった当たり前のバランスのとれた教育が完全に見失われています。

このような日本の学校現場の状況を踏まえ、「教師主導」と「支援」の当たり前のバランスを回復することが大切だとの立場から、「教師主導」の指導法もよいものは積極的に採り入れることが大切だと考えます。

A 「 支援」の名のもとに、非効率と放任と不徹底が広がっている

授業では子供からの発言はよいが、教師からの指示や教え込みはよくないとされています。それで、教師が一言指示したり教えたりすれば済むことでも、子供から発言を引き出すため回りくどい指示や無駄な発問が多くなるのです。これは、「教師は支援すべきで、教え込んではならない」と思い込んでいるからです。それは、授業において非効率な時間を生じさせるとともに授業のテンポを悪くして、結果として、だらけた授業につながっています。

また、どの教科の授業でも多くなっているのが、調べ学習と発表という形態です。子供たちが調べたり発表をまとめたりするには膨大な時間がかかります。力のある教師は子供の発表をかかわらせて内容を深めます。しかし、多くは各自・各グループが調べたことを順番に発表し、少しばかりの話し合いをしてその単元を終えているのが実態です。この授業では教師が教えることなく子供が調べたことを発表するという形をとっています。このような授業は一見話し合いが深まったとしても、時間がかかりすぎます。しかも、多くの場合、真剣に学習しているのは一部の子供だけであり、授業はその子たちだけで進められています。残りの子供たちは何となく時間を過ごすことになります。特に、基礎学力や学習能力がついていない子供は満足に調べたりまとめたりすることができず、放任されたまま何も学ばないで膨大な時間を過ごすことになります。そして、何も学んでいない子供たちの中から、荒れる・キレる者が生じてきます。比較的うまくいっている学級でも、調べ学習の時間に図書室等でくつろいでいたり、遊んでいたりする子供の姿が見られるものです。 

このような授業ばかりやっていては、基礎的な知識や基礎学力が身につかず教育の成果に責任をもつことはできません。

もし、教師主導の授業だったら、何も学ばないで過ごす子供たちは少なくとも生じません。子供たちに力をつけ、全体の底上げを図るには教師主導の授業も必要です。支援では子供を鍛えることはできません。鍛えるには教師主導の粘り強く徹底した反復指導が必要です。そうして鍛えられた子供こそが自主的に学習を進めていくことができるのです。支援の授業は、子供の基礎学力や学習能力が鍛えられて初めて効果を発揮します。この順序を逆にして、子供の学習能力を鍛えないまま、「まず支援の授業ありき」では、学習そのものが成り立ちません。支援の名のもとに子供の自主性に任せていても、子供はいつまでたっても自主的に活動することができません。子供の自主性を育てるためには教師の教え込みや教師が意見を言うことも必要なのです。

B  「教師主導」にもよいものがある 

  「支援」の授業がよくて「教師主導」の授業が悪いのではありません。「支援」にもよい支援と悪い支援があり、「教師主導」にもよいものと悪いものがあるのです。例えば、教師主導でも、テンポのある知的な作業指示や力強い褒め言葉が多い授業は子供たちを意欲的にさせるのです。実際に1時間の授業中に、シャワーのように80回以上子供をテンポよく褒めておられる先生が存在します。褒められた子供たちは明るく元気になっていきます。また、教師主導でも、音読やノートに書かせる指導を重視し、授業の節が明確で原則を踏まえためて極めて分かりやすい授業をしている先生もいます。その学級の子供たちは一人残らず集中して学習に取り組んでいます。どちらの授業も教師主導ですが発問が考え抜かれていて、テンポがいいから子供たちは最後までダレません。「教師主導」にもよいものがあるのです。逆に、同じ教師主導でも、とりあえず発問や思いつき発問、テンポの悪い一問一答式の授業や説明の長い授業では、ダレてしまい子供たちを退屈させてしまいます。これは、正につまらない授業です。

  また、支援でも、子供たち全員が課題意識や目的意識を明確にもって主体的に活動し、教師が適切にアドバイスしている優れた授業もあれば、逆に、主体的に活動しているのはごく一握りの子供たちで、他の子供たちは何となく時間を過ごしている学びの乏しい授業も少なくありません。

  よい悪いを決めるのは、例えば、子供が算数が好きになり学力がついたかどうかといった「子供の事実」です。 教師主導であろうと支援であろうと、素晴らしい「子供の事実」を作っているのがよい指導なのです

 

(5)徹底的にほめて(励ます・フォローする)指導する

  沢山ほめられると、子供は精神的に安定し明るく元気で意欲的になります。そればかりか、学級全体の雰囲気もよくなります。これは、ほめられることでドーパミンやβエンドルフィンなどのやる気を高める脳内ホルモンが分泌されるからだと言われています。ですから、子供を元気にし学習意欲を高めるために、「ほめることを9割、叱ることを1割」にすることを目指して努力したいものです。叱るのは、人を傷つける言動など人間としてやってはいけないことをしたときだけにしたいものです。

  日本人は伝統的にほめることが下手です。欧米人はほめることがとても上手で、少しオーバーなくらいに子供をほめます。ほめることが少ないという民族性が、日本人の自己肯定感の低さに現れているのではないでしょうか。大いにほめるというのは、昔の日本の教育には少なかったことです。昔の教育のよいところを残しつつ、ほめて育てる方法も積極的に採り入れれば、成果の多い教育になると思います。

  ほめることの大切さはよく語られますが、実際には教師も親もあまり子供をほめていません。子供への要求水準が高いと、叱ることが多くなってしまいます。しかし、 「できなくて当たり前。できたらすごいんだ」と考えれば、叱ることが少なくなりほめることが多くなります 。 例えば、靴を脱ぎ散らかすので当たり前、揃えていたらすごいんだと考えると、靴を揃えたことをほめることができます。できて当たり前と思っていたらほめることは決してできません。

ですから、ほめ上手になるには、思い切って子供への要求水準をいったん下げることです。その方が結果として子供が伸びます。また、ほめるとき(叱るときも)は、決して人と比べず、あくまで、本人の小さな進歩や努力をほめることが基本です。

具体的には、子供に 指示したことを確認する場面が、ほめる好機 です。確認の場面では、 できていないことを叱るのではなく、できている子やできていることをテンポよくほめる ことで、全体への波及効果を目指します。ほめるためには、とりわけ、学力の劣る子供には小さな当たり前のことができたときにも、心からほめることが大切です。