すぎた きゅうしん
杉田久信の “現場”
からの教育提言
 ≪基礎学力で教育再生≫

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A.理論編 B.実践編 C.心の教育 ◆校長室の窓から ◆リンク集
1 教育を歪めた戦後の論調を糺す
2 指導要領改訂が学力低下をもたらした
3 アメリカ教育の荒廃と再生の過程
4 教育行政への提言
5 基礎学力をつける5つの柱
6 基「子供を楽にする教育」か「子供を鍛える教育」か
7 基礎学力の徹底で教育は再生する
8 戦後教育が善意で犯した罪
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A【理論編】今、なぜ基礎学力か

7.基礎学力の徹底で教育は再生する

日本人のよき特性(勤勉、知性、忍耐)が音を立てて崩れた

1992年にペルーのフジモリ大統領は、国賓として来日したときの挨拶の中で「・・・日本の移民が開始されたとき以来、ペルー国民が日本人に与えた評価は、勤勉、知性、そして忍耐でありました。・・・」と述べています。ペルーに限らず世界的にも、勤勉、知性、忍耐、さらに礼儀正しさなどは日本人の伝統的な特性であると受け止められ、日本の信用を支えてきました。ところが、近年の日本社会ではこの勤勉(真面目さや几帳面さも)、知性、忍耐といった伝統的な日本人のよき特性が音をたてて崩れています。

このことは教育現場で一層鮮明に感じられます。現場のどの教員も実感していることは、近年、できる子とできない子の学力格差が拡大し、二極分化の形で学力低下が大きく進行してきたことです。特に、基礎学力や『知性』

の低下は、できない子たちの間で深刻さを増しています。これは、かけ算九九さえ覚えていない中学生や高校生の存在が象徴しています。知識・技能だけでなく、学習意欲や『勤勉さ』も低下しています。さまざまな国際比較調査によると、どのデータでも日本の子どもたちの家庭での勉強時間は先進国中最下位になっています。他に、気力や集中力、体力なども低下も顕著です。さらに、すぐキレる子供や嫌になったらすぐ投げ出す『忍耐力』のない子供たちの増加でトラブルが絶えず、「学習への構え」が崩れ、問題行動も多発していて学校運営は年々難しくなっているのが現状です。程度の差はあっても、今や多くの学校では学習をきちんと成立させること自体が裏での最大の課題になっています。

これらのことは、ゆとり教育や新学力観といった教育の中で起きたことです。

2 読み・書き・計算が日本人のよき特性(勤勉、知性、忍耐等)を支えていた

ところで、日本の伝統的教育である読み・書き・算盤の学習は、江戸時代の藩校や寺子屋の教育の中で確たる基礎が築かれ、明治時代以降の学校教育の中で一層の広がりと深まりをもってきたものです。そして、勤勉、知性、忍耐といった伝統的な日本人の特性は、それらの教育の中で身につけていたのです。

 日本の伝統的教育である読み・書き・算盤の学習は、知識として文字や数を覚え、読んだり書いたりするだけではありません。字のはねる、とめる、はらうなどの指導やノートにバランスよく書く指導がきちんとされていたのです。計算練習も桁をそろえ定規で線を引かせながら、順序よく計算させるといった丁寧な指導がされたのです。そんな丁寧な指導によって、知性だけでなく、勤勉さや真面目さ、忍耐強さといった日本人の特性が培われていたのです。 

しかし、ゆとり教育導入以降、とりわけ、1989年の指導要領で「新しい学力観」が登場した頃から、学校教育において読み・書き・計算の反復学習は、著しく軽視されてきました。それは、子どもの主体的学習や考える力を目指す「新学力観」から見ると、読み・書き・計算の反復学習は知識の詰め込み教育であり、教師主導の教育であり、「新学力観」の対極にある正に「旧い学力」の典型とみなされたからです。この結果は学力低下だけでなく生きる力の低下にもつながりました。反復練習なしではどんな力も身につかないからです。

これまでの読み・書き・計算の伝統的な教育法が否定され軽視されるようになったことこそが、日本人のよき特性喪失させ た最大の原因だと思われます。特に、キレる子どもが増えていますが、以前は、読み・書き・計算の反復学習の中で、やればできるという自信と達成感や小さな進歩を褒められた喜びと精神的安定感などを感じながら

なお、子どもの主体的学習や考える力や創造性の育成を目指す方向は今日必要とされるものです。しかし、それは読み・書き・計算といった確かな基礎学力の上に成り立っていることを忘れてはいけません。

長所伸展法で教育を再生せよ。教育行政が以下の方針を明確に打ち出せば、教育は劇的に再生すると考えます。この方針は、できれば県知事から明言していただければ一層効果的です。

 (1) すべての子供たちに「基礎学力」を身につけさせる

 (2)  すべての子供たちに「規範意識」を身につけさせる

 (3)  すべての子供たちに「夢・志」をもたせる

◎基礎学力の反復徹底の効果

 @ 「知識・技能の確かな定着」が図れる。

 A 学校全体に学習の規律が生まれ、学習の構えが身につく。

 B どの子にも「 やればできる!」を実感させられ、自信と自己肯定感をもたせられる

 C 集中力や持続力、認識力といった学習能力が伸びる。

 D 落ち着きや自己抑制力が身につき、生徒指導上でも効果がある。

 E 脳力が伸びる。

 F 学習意欲が高まる。

 G 子供が元気になる。

 H 時間感覚、表現力や創造力の基礎が身につき、真のゆとりが生まれる。

  ★ 教師にとっても、確かな手応えを感じることができる最もシンプルで効果的な実践

 ただ、過去の教育の問題点は、読み・書き・算盤そのものが教育の目的であるかのような傾向があったことです。あくまでも、読み・書き・計算は能力を伸ばすための手段であり、創造性などを含む生きる力の基盤であると位置づけることが大切だと思います。

 

3 集中力や忍耐力は「反復学習」の中でこそ育成される

ところで、この反復学習の中でこそ、最も集中力や忍耐力も育成され、できるようになった喜びや自信、そして達成感も感じられるものです。そして、その集中力や忍耐力、達成感といったものは、学習力や創造力、生きる力や人間としての総合的な力の中核といえるものです。物事を成し遂げるには集中力や忍耐力が必要不可欠です。また、達成感は集中力や忍耐力で困難を克服した後に生ずるものです。すなわち、反復学習や基本のトレーニングは、知識や技能を確実に身につける上で効果的であるだけでなく、子どもたちに生きる力や人間としての総合力をつけることにもつながるのです。

基礎学力の反復学習は、とりわけ小学校では最も必要なものです。どの子にも基礎学力をきちんと身につけさせることが、小学校の最大の責任であるからです。この当たり前のことが今日忘れられています。

 また、子どもたちに基礎学力をしっかり身につけさせないで保護者の信頼は決して得られません。

反復学習をしないで生きる力や考える力をつけようとしても、結局は何も身につきません。そのため、反復学習が軽視されている間に、基礎学力だけでなく生きる力も低下していったのです。

これまでの学力低下策を改め、上記の「基礎学力」と「学習規律」重視の明確な方針を打ち出すことこそ、今日、最も必要とされています。教育の制度(30人学級、学校選択制、教員評価、二学期制などの制度)の改革も必要ですが、それ以上に、まず「基礎学力重視」の教育の基本的方向を明確に示すことは何より重要です。これこそ教育問題を抜本的に解決し教育の再生につながる教育改革の本丸です。「学びのすすめ」が文部科学大臣から出されただけでも、全国の学校現場は大きく変わり、子供たちの学力低下や問題行動に歯止めがかかりました。日本の学校現場の潜在的教育力は、まだまだ健在です。「基礎学力重視」の方針を明示するだけでも日本の教育再生は十分可能です。学校が基礎学力に力を入れれば、子供たちの問題行動は少なくとも半減するものです。

アメリカでは大統領が、イギリスでは首相が「学校の規律の強化」と「基礎学力の重視」の教育改革を自ら呼びかけて教育を再生させたように、日本においても総理大臣自ら呼びかけることが望まれます。もし、総理大臣自らこの方針を明示されたなら、子供たちの学力が向上するだけでなく問題行動も半減し、必ず日本の教育は英米以上に劇的に再生すると確信します。 

 国レベルでできないのなら、県、市レベルで県知事や市長がこの方針を明示するだけでも大きな成果が期待できるに違いありません。  

4 カウンセリング一辺倒の生徒指導の方針を改め、「規律」も重視する 

今日の日本の生徒指導はカウンセリング的手法一辺倒です。生徒指導に「規律重視」を盛り込めば管理主義、規則主義だと批判されそうな風潮が続いています。しかし、不登校児童・生徒に対するカウンセリング的指導法を一般化・固定化して、カウンセリング的手法以外は認めないというのでは、現場の深刻な生徒指導の実態には全く適応できません。事実、一部の反抗的暴力的児童生徒の存在により、その学校の規律が乱れ、学級崩壊や学校崩壊につながり、大多数の善良な児童生徒の学習権が全国各地で奪われています。反抗的暴力的児童生徒には規律重視の毅然とした対応も必要です。規則違反など問題行動に対しては、自ら責任をとることをしっかりと教えなければなりません。教育行政は学校の実態に応じた自由度の高い発想による生徒指導を認めるべきです。学力優秀な生徒を集めている学校とそうでない学校では、生徒指導の方法は当然違ってきます。例えば、細かい規則を作って厳格な生徒指導を行っている学校があっても、観念論だけで排除するような指導を教育行政はすべきではありません。その生徒指導法が成果を上げていれば、一部のマスコミから管理主義とのレッテルを貼られてバッシングされても、教育行政は援助・支持する立場に立っていただきたいと思います。

今、日本の生徒指導に必要なのは、カウンセリング的指導に偏るのでなく、規律重視の指導とのバランスをとることです。具体的には、教育行政が生徒指導綱領を作ることです。児童生徒の行動の指針を、文部科学省や教育行政サイドが責任を持って明示するのです。そうすれば、各学校も責任ある校則を作って生徒指導を行うことになり、現場の教師の士気が高揚し多様な工夫が生まれてくるでしょう。

5 道徳的徳目教育を行う

戦後の道徳教育では、文部省と日教組の双方から「子供自ら気付くことが大切であり、 価値の押しつけは絶対してはならない 」とされてきました。それで、多くの学校で行われている道徳教育は、資料やテレビを見て思いつきの意見を話し合ったり、登場人物の気持ちを話し合ったりする力のないものになっています。そこでは価値の押しつけが禁止されているため、「悪いことは悪い」と教えることや「人間としてやってはいけないこと、守らなければならないことなどの生き方の基本」をきちんと身につけさせることができないのが現実です。戦後の道徳教育は子供たちの問題行動や心の荒廃には無力だったのです。戦後半世紀以上も日本の教育では社会規範を教えてきませんでした。守るべき社会規範とは何かをはっきりさせる努力すらしてこなかったのです。戦前の「修身」の反動から日本社会は社会規範について思考停止に陥ってきたのです。それでも今日まで社会がもってきたのは、人に迷惑をかけてはいけないといった当たり前の「暗黙の社会規範」が残っていたからです。しかし、旧世代の人々が姿を消したことで、今やそれも怪しくなっています。

  日本の道徳教育で今必要なのは、 道徳的徳目をインドクトリーネーション的【注入的】に教えること です。これまでの道徳教育が無力だったのは教え込むことを避けてきたからです。伝統的な徳目に加えて、世界中の修養本に詰まっている「生き方の知恵」、ライフスキル、コミュニケーションスキルなどをも繰り返ししっかり教えることが大切です。それも、心に響くように教え込むのです。  

「人間としてやってはいけないこと、守らなければならないことなどの生き方の基本」も子供の心に届くように反復して教えられなければなりません。この守るべき社会規範は「当たり前のこと」という誰もが賛同できる観点から提示すれば、修身の反動から思考停止してきた状況を打破できると確信します。(参考:当たり前のこと10か条の実践) 「心のノート」の活用を

6 教員の学級担任の比率を増やす 

日本と学力世界一のフィンランドを比較すると、教員比率【児童生徒総数÷教員総数】はほぼ同じなのに、日本は40人学級でフィンランドは25人学級です。これは、日本の教育は管理を重視していて、管理職や指導主事など、学級を担任してない教員や授業をしてない教員が多すぎる(一説によれば教員の4分の1が授業をしていない)からです。最近では、子供の問題行動の増加に伴い、対症療法的にスクールカウンセラー、心の相談員、司書教諭、栄養教諭、特別支援教諭などを増やす方向にあり、40人学級を維持したまま教職員は増える一方です。これは、教育の現状が深刻なために取られた措置であり、いわば、学校教育の失敗に伴う焼け太り状況といえます。しかも、これらの措置は十分な効果を上げておらず、教育問題の抜本的な解決にはつながっていません。国の財政状況を考えると、今後は小さな政府・小さな行政の方向に行くしか選択肢はありえず、学校教育の焼け太りは許されません。

教育問題を抜本的に解決するためには、上に記した「基礎学力の重視」とともに、「30人学級」の実現が必要と考えます。国や地方の切迫した財政状況の中で、保護者の要望が強い30人学級を実現するには、 教員の学級担任の比率をフィンランド並に高める ことで可能になります。これは、教員を増やさなくても行政が決断すればできることです。そのためには、教育行政をスリム化し学校現場に権限と責任を一層持たせることが必要になります。

30人学級と「基礎学力」「学校の規律」重視のセットで、子供たちの学力向上と生徒指導
に効果を上げて学校教育の焼け太りを防ぐことができると確信します。